めいしーのブログ

キリと草と時々皿

エジプトBLにハマった話

どうもめいしです。

巷で話題のエジプトBL(エネアド)にまんまとハマっています。
あまり商業BLには興味がなかったのですが、Twitterであまりにも死んだはずの兄が蘇った広告を見るので・・・

コミックシーモアで30話まで無料キャンペーンをやっていたのでなんとなく読んでみたら、まんまと・・・まんまと・・・

とにかく、受けのセトがかわいい!!!!

エネアドは、主人公のセトが総受けの話なんですけど、最初の方は全然BL描写がないんですよ。そこが良い!
28話くらいまで、セトがずっと天上天下唯我独尊極悪非道の神の王で、とにかく悪いやつなんですよ。民を大量虐殺して、自分の嫁と子供にも監禁や暴力をふるい・・・みたいな、本当に悪い!
そこに、セトに殺された前の王(兄)の息子ホルス(甥)が現れて、セトに対して王の座をかけて勝負を挑む という話なんですよね。28話くらいまで。28話くらいまで。

民を虐げる王に挑む青年 というある意味王道少年漫画のような展開と、砂漠の王のセトVS大きな翼のある風遣いのホルスのド派手アクションシーンの数々のせいで、私は完全にBL漫画だということを忘れて少年漫画として楽しんでいたわけですよ。28話くらいまで。

そして30話、今まで無口で、あまり自分の心の内を話してこなかったホルスが・・・セトを押し倒して・・・困惑動揺抵抗するセトをそのまま力でねじ伏せて・・・そして本能のままに・・・キャーーーーー!!!🫣🫣

読んでて本当に「マジで!?え!?いいの!?(?)そんなところまで!!」みたいな気持ちになった。

そんなこんなでハマり現在は50話まで読んでいるのですが、なぜこんなにエネアドは魅力的なのか、私なりに考察してみました。そして出た答えが


エネアドはエッチシーンの背徳感が凄い。


私がそもそもあまり商業BLに触れてこなかった理由は、「BL、そして受け攻めが決定しているという予定調和感」を感じてしまっていたからなんですよ。
これが二次創作だと、本来公式ではBL関係にない二人の"特別な姿""本当ならば見られないはずの姿"が見れるという背徳感が得られる。というわけですよ。
私はこの背徳感を求めてBLを嗜んでいたんだなと気づきました。

エネアドは、最初の少年漫画的展開からのBL過激エッチシーンというコントラストが効いていて、とてつもない背徳感が味わえるという事です。

そして甥×叔父という素晴らしい背徳感。
そもそも私は弟×兄のBLを好んで嗜んできたのですが、それ以上の背徳感、立場も年齢も低い者に組み敷かれる受けの屈辱感、幼き頃の攻めの可愛らしい初恋の思い出・・・そして拗らせてしまった激重感情・・・最高ですね。

何が最高って、セトが完全にノンケなところだよ。
どんなに男たちに愛をぶつけられても、押し倒されても、最後まで全力で拒否するところが良い。
結局最後は強姦になってしまうしセトもトラウマで体が動かなくなってしまったりと結構ヘビーな描写はあるんですけどね・・・。あくまでフィクションとして良いなと思ってます。

セトは嫁と息子を心から愛しているという前提がさらに背徳感を高めていて良い。
というか、綺麗な顔をしているけど性格はヤンチャで問題児、でも嫁の事が大好きでたまらない旦那&ブロンドの髪に垂れ眉のおっとり癒し系美人な嫁という組み合わせ、もうこの二人の男女恋愛漫画でも爆売れするよ!ってくらい可愛い組み合わせなんですよ。ビジュも含めて。

でもそこで終わらないのがエネアド。
兄に無理やり迫られ、その子供にも迫られ・・・読んでるとセトがかなり可哀想になってくるんですが、最初のセトの残虐非道な暴君の様子が丁寧に描かれているからか「まああれだけの事してたんだから仕方ないか・・・」と心のバランスがとれる、気がする。

セトもセトでちゃんと強くて、最初に兄に無理やり犯されてしまった時は兄を殺してるという、ただ可哀想なだけで終わらないところが魅力。


セトがどこまでもノンケで、男は対象外。という姿勢を崩さないのでエッチシーンを重ねても「信じられない事をしてる」という顔を毎回してくれるので背徳感増し増し。
二次創作のBLだと、"BLが前提"の世界であることが多かったり、ノンケ受けだとしても最後には陥落することが多いから、どこまでも拒否するセト、良い。

更にエネアドエッチシーンの背徳感を増しているポイントが、仮面の存在です。
セトもホルスも、顔の上半分が隠れている仮面をつけているんですよ。一話の冒頭で一瞬仮面をつけていないセトの後ろ姿が描かれていますが、その後ずっと仮面をつけたままなんですね。
この仮面の存在がまた素晴らしくて、読者としてはそもそもがエジプトの神々の話という先入観も相まって、セトとホルスに対してどこか人外感というか(まあ神だから人外なんだけど)、仮面の姿が素顔のような、つまり読んでいて仮面の姿に違和感がなくなるんですね。

仮面の姿の時は髪も出ていないんですよ。セトは赤のサラサラロングヘアーなのですが、仮面をしている時は髪が全くでていない。これがまたセトの人外感を増してくれているんですね。
もしこれが、仮面をしている時に髪が仮面からでていたら(そもそもロングヘアーを結んでいる描写もないので髪が出ている方が自然なんだけど)、"人間と姿形が同じ生き物が仮面というオプションをつけている=仮面は外される前提のもの"という印象になると思うんですね。
でも髪が出ていないと、"仮面の姿が本来あるべき完全体の姿の生き物=仮面は付けているのが当然のもの"という印象になるんですよ。

そしてお察しの通り、エッチシーンではセトの仮面がズレる!外れる!落ちる!綺麗な顔と鮮やかな赤い髪が露わに!!"外される前提"としての仮面だったら、「まあエッチなシーンで仮面を外すのは当たり前でしょ」となるところを、"付けているのが当然"の仮面が外されているわけだから背徳感ポイントは更にUP!最大ポイント10倍!お背徳マラソン

それにしても本当にセトの顔が綺麗で、仮面が外されるたびに美(び)・・・てなってしまう
唇がやけにセクシーなんですよ、仮面をかぶって偉そうな王様として君臨し暴言や偉そうな事を言っていた時から、やけに唇がセクシーだなと思っていたんですよ、なんだその下唇の真ん中の線は!ダ○•キャメロンか!!


そこはさすが韓国の漫画といったところなんですが、キャラクターごとにメイクが違って読んでると美意識が高まる。特に女性の神様たちのメイクがカラフルでかわいい。

そんな感じでエネアドとってもハマっております。